このページは朝鮮王朝第2代王、定宗(チョンジョン)の解説です。
定宗(チョンジョン)は朝鮮王朝建国の王、イソンゲ(太祖)の次に王になった男です。
わずか2年の短命政権だったので、目立った功績もなく定宗を知らない方も多いようです。
イソンゲの次の王はどんな王だったのかを解説します。
イソンゲの次の王は次男の定宗(チョンジョン)
朝鮮王朝建国の王、太祖の五男バンウォンが起こした「第一次王子の乱」の結果、世子となった後に即位した2代王の定宗(チョンジョン)。
定宗(チョンジョン)は太祖(イソンゲ)の次男でした。
即位前の名は芳果(バングァ)。
定宗(チョンジョン)は穏やかな性格で争いごとを好まなかったため、政治の中心からは距離を置いていました。
即位前は父のイソンゲとともに戦った勇敢な武将だったらしいよ
余談ですが、定宗(チョンジョン)は在位期間は短かったのですが、子供を25人ももうけています。
朝鮮王朝の「子沢山ランキング」で堂々の3位です。
「男の務め」はしっかりと頑張ったんですね。
第二次王子の乱の後に弟のバンウォンに譲位
定宗(チョンジョン)の在位中、実権を握っていたのは五男のバンウォンでした。
このため、五男のバンウォンを倒せば王座を奪えると反乱を起こしたのが、四男の李芳幹(イ・バンガン)でした。
ですが四男の李芳幹(イ・バンガン)はあっさりと返り討ちにされ、これを見ていた定宗(チョンジョン)は自分も身の危険を感じ、バンウォンに王の座を譲り渡します。
これが「第二次王子の乱」です。
こうして、第二代王の定宗(チョンジョン)は在位期間わずか2年ほどで王座から降ります。
朝鮮王朝は建国の王・太祖が6年。
第二代王の定宗(チョンジョン)が2年。
短命の政権が続きます。
定宗(チョンジョン)は出演していた時代劇も父である太祖とほぼ同じで
- 大風水
- 龍の涙
- 六龍が飛ぶ
- イニョプの道
などです。
定宗(チョンジョン)が主人公の時代劇は見たことがありません。
(なにせたった2年の短命政権ですから)
譲位後は狩りやスポーツなど、19年間の余生を楽しんだとされています。
定宗(チョンジョン)が正式に王として認められたのは約300年後
実は、定宗(チョンジョン)が正式に王として認められたのは約300年後です。
バンウォンに操られて即位し、わずか2年で譲位したので正式に王として認められていなかったのです。
王として認められ、「定宗」という称号が与えられたのは1681年。
粛宗(スクチョン)やトンイが生きた時代でした。
譲位したのが1400年なので、約300年間のあいだ王として認められなかったのでした。
イソンゲの次の王、朝鮮王朝2代王:定宗(チョンジョン)のまとめ
イソンゲの次の王である朝鮮王朝2代王:定宗(チョンジョン)についてまとめました。
わずか2年の短命政権。
弟のバンウォンに譲位した後は19年間の余生を過ごした。
多くの側室と20人以上もの子供をもうける。
約300年間のあいだ王として認められなかった。
以上、イソンゲの次の王である朝鮮王朝2代王:定宗(チョンジョン)でした。
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