朝鮮王朝で一番ダメな王と言われたのはどの王だか知っていますか?
それは25代王の哲宗(チョルジョン)です。
このページでは哲宗(チョルジョン)の家系図や、どのように王になったのか?
なぜダメな王なのか?などを解説していきます。
哲宗(チョルジョン)は朝鮮25代王
哲宗(チョルジョン)は朝鮮25代王です。
22代王・正祖(イサン)の弟である恩彦君(ウノングン)の孫。
米びつ事件で亡くなったサドセジャのひ孫でもあります。
先代の24代王・憲宗(ホンジョン)に世継ぎがいなかったため、王宮に呼び戻される形で即位します。
23代王・純祖の妻である純元王后が垂簾聴政(スイレンチョウセイ)をしたので政治的実権はほとんどありませんでした。
哲宗の家系図
哲宗の家系図を紹介します。
サドセジャと側室の間にできた子の系譜をたどってますね。
ちなみに、恩彦君(ウノングン)は「イサン」にも弟としてちょっとだけ登場していました。
朝鮮王朝史上一番のダメ王と呼ばれる哲宗
哲宗は、「朝鮮王朝で一番のダメ王」と呼ばれていて、ほぼ異論は出てないんです。
その理由はいろいろありますが、主なものをざっくりと紹介します。
- 正式な王族ではなく「元王族」の子孫である
- 流刑中の受刑者が突然王に
- 規則を破って無理やり王にされた
- 酒と女におぼれた傀儡の王
哲宗の父・全渓大院君は庶子(側室の子)であったため、さらに祖父の恩彦君も庶子だったので、哲宗は即位するまでは爵位がなく、王族としては認められない地位でした。
さらに、哲宗の兄が重罪を犯したために連座で江華島に流刑にされていました。
哲宗を王にするにあたって、2つの規則違反がありました。
- 1つは王族ではないこと。
- 2つ目は哲宗が第24代王・憲宗の7親等の叔父であったこと
この二つの規則違反を犯してまで哲宗は無理やり即位させられました。
本来は前王と6親等以内の王族であること、さらに、前王よりも目下であることが条件で、目上の者(叔父)が後を継ぐことは許されませんでした。
こうした理由から哲宗は正式な王ではないとも言われ、即位後は酒と女におぼれる日々を過ごしていたと言います。
哲宗は長く流刑地で生活していたことで字の読み書きも満足にできなかったらしいよ
哲宗と安東金氏
それでは、なぜこんなにダメな哲宗が王になれたのかというと、権力争いに利用されたからに他ならないんですね。
23代王・純祖の正妃の家系である安東金氏(アンドンキムシ)の一族が権力を握っていましたが、操り人形になる王として選んだのが哲宗でした。
ダメならダメなほど都合がよかったんだね
安東金氏の対抗勢力として、第24代王憲宗の母である神貞(シンジョン)王后の家系、豊壤趙氏(プンヤンチョシ)一族がいましたが、先手を打ったのが安東金氏でした。
安東金氏がダメ王哲宗を傀儡として利用すると豊壤趙氏の勢力は弱っていきます。
こうして、安東金氏の勢道政治が行われます。
哲宗も、王とはいえ安東金氏に逆らうと命が危ういため、政治なんかほったらかしで酒と女におぼれる王となっていきます。
哲宗はこの不摂生がたたり、32歳の若さでこの世を去ります。
まとめ:哲宗の王妃が出るドラマと言えば「哲人王后(チョルインワンフ)」
朝鮮25代王・哲宗(チョルジョン)についてまとめました。
権力争いに利用され、規則違反をしながらも即位させられた傀儡の王。
それが哲宗でした。
流刑地で食うや食わずの生活をしていた貧農が突然王になったのですから、さぞかし戸惑ったでしょうね。
最後は酒と女におぼれ、若くして亡くなります。
こんなに暗い話ばかりの哲宗の時代でしたが、この時代を描いた数少ない時代劇「哲人王后(チョルインワンフ)」はコメディとして描かれます。
「哲人王后(チョルインワンフ)」は現代からタイムスリップした男性が、哲宗の正妃である哲人王后(チョルインワンフ)の体に乗り移ってしまう、というお話です。
そのため、サブタイトルは「俺がクイーン?」です。
タイムスリップあり、しかもコメディなので史実とはかなり異なる描かれ方ですが、興味がある方はHuluで見放題配信されているので見てみましょう。
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以上、哲宗の紹介でした。
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