このページでは朝鮮王朝歴代王系図や歴代朝鮮王の本名など、朝鮮王朝にさらに詳しくなれる解説をします。
さらに、朝鮮王朝の聖君ランキングなどいろいろなデータを紹介します。
韓国時代劇をさらに楽しみたい方は続きをどうぞ。
- 朝鮮王朝歴代王系図
- 歴代朝鮮王の解説と主な登場ドラマ
- 第一代 太祖(テジョ:태조)
- 第二代 定宗(チョンジョン:정종)
- 第三代 太宗(テジョン:태종)
- 第四代 世宗(セジョン:세종)
- 第五代 文宗(ムンジョン:문종)
- 第六代 端宗(タンジョン:단종)
- 第七代 世祖(セジョ:세조)
- 第八代 睿祖(イェジョン:예종)
- 第九代 成宗(ソンジョン:성종)
- 第十代 燕山君(ヨンサングン:연산군)
- 第十一代 中宗(チュンジョン:중종)
- 第十二代 仁宗(インジョン:인종)
- 第十三代 明宗(ミョンジョン:명종)
- 第十四代 宣祖(ソンジョ:선조)
- 第十五代 光海君(クァンヘグン:광해군)
- 第十六代 仁祖(インジョ)
- 第十七代 孝宗(ヒョジョン)
- 第十八代 顕宗(ヒョンジョン)
- 第十九代 粛宗(スクチョン)
- 第二十代 景宗(キョンジョン)
- 第二十一代 英祖(ヨンジョ)
- 第二十二代 正祖(チョンジョ)
- 第二十三代 純祖(スンジョ)
- 第二十四代 憲宗(ホンジョン)
- 第二十五代 哲宗(チョルチョン)
- 第二十六代 高宗(コジョン)
- 第二十七代 純宗(スンジョン)
- 朝鮮王朝聖君ランキング「もっとも偉大な王」は誰か?
- 李氏朝鮮王朝歴代王名と王の本名の一覧表
- 王の本名に難しい漢字が使われている理由
朝鮮王朝歴代王系図
まずは朝鮮王朝歴代王系図をご覧ください。
※1・「追」とは追尊(ついそん:死後に王としての地位を与えること)
※2・王の下から伸びている系図は庶子(側室の子)
王の系譜に含まれなかった者は省略しています。
歴代朝鮮王の解説と主な登場ドラマ
ここから歴代朝鮮王の主な実績や解説、登場するドラマなどを紹介します。
個別ページで解説している王はリンクを貼っておくのでそちらもどうぞ。
※リンクは追記予定あり
第一代 太祖(テジョ:태조)
第一代 太祖(テジョ:태조)
在位1392―1398
朝鮮を建国した第一代王
元々は高麗末期の武将「李成桂(イ・ソンゲ)」として活躍。
1388年の威化島回軍によって軍の実権を握る。
1393年に朝鮮王朝をたてる。
登場ドラマ:大風水・龍の涙・六龍が飛ぶなど
第二代 定宗(チョンジョン:정종)
第二代 定宗(チョンジョン:정종)
在位:1398―1400
太祖の二男
当初は八男の芳碩(バンソク)が世子だったが、第一次「王子の乱」で粛清し、世子になったのちに即位する。
弟(第三代 太宗)によって利用されたのち、譲位を迫られる。
わずか2年の短命政権だった。
登場ドラマ:太宗大王・大風水・龍の涙・六龍が飛ぶなど
関連記事:イソンゲの次の王は定宗【朝鮮王朝2代王】弟のバンウォンに譲位した短命政権
第三代 太宗(テジョン:태종)
第三代 太宗(テジョン:태종)
在位:1400―1418
太祖の五男
第一代太祖が朝鮮王朝をたてる時に貢献したが、父・太祖に後継者として認めてもらえなかった。
第二次王子の乱のあと、兄(第二代 定宗)を利用して王座を強引に奪う。
王権を強化するため私兵をなくし、官職制度を改革するなど強引な政策で中央集権化を進め、朝鮮王朝の土台を確立した。
登場ドラマ:太宗大王・大風水・龍の涙・根の深い木・六龍が飛ぶなど
第四代 世宗(セジョン:세종)
第四代 世宗(セジョン:세종)
在位:1418―1250
第三代太宗の三男
訓民正音(ハングル)を作り、朝鮮王朝の黄金時代を築いた聖君。
「世宗大王」と呼ばれるなど、最も尊敬される朝鮮王である。
後述する「聖君ランキング」で当サイトでは1位とした。
登場ドラマ:大王世宗・根の深い木・ポンダンポンダンなど
第五代 文宗(ムンジョン:문종)
第五代 文宗(ムンジョン:문종)
在位:1450―1452
第四代世宗の長男
温和で学問好き、天文や算術に優れた王。
7歳で世子となるも、王位についたのは36歳で長い世子時代に政敵が勢力を増してしまい、王権が弱い状態で即位。
弟のスヤンテグンを脅威に感じながら息子の端宗にバトンを渡す。
登場ドラマ:大王世宗・王女の男・王と妃・インス大妃など
第六代 端宗(タンジョン:단종)
第六代 端宗(タンジョン:단종)
在位:1452―1455
第五代文宗の長男
父・文宗が短命だったため、11歳で即位した。
叔父であるスヤンテグン(第七代世祖)に王座を明け渡したのちに16歳という若さでこの世を去る。
登場ドラマ:王女の男・王と妃・インス大妃など
第七代 世祖(セジョ:세조)
第七代 世祖(セジョ:세조)
在位:1455―1468
第四代世宗の二男
第六代端宗のおじであったが、癸酉靖難(ケユジョンナン)を起こし、第六代端宗を廃位させて王位につく。
参考記事:首陽大君(スヤンテグン)はどんな王様?経歴と死因などの解説
登場ドラマ:大王世宗・王と妃・インス大妃など
第八代 睿祖(イェジョン:예종)
第八代 睿祖(イェジョン:예종)
在位:1468―1469
第七代世祖の二男
即位前から病弱で、在位13ケ月で亡くなる。
政治的な権力はほぼ皆無の王だった。
登場ドラマ:王と妃・インス大妃など
第九代 成宗(ソンジョン:성종)
第九代 成宗(ソンジョン:성종)
在位:1469―1494
第七代世祖の孫(インス大妃の息子)
朝鮮王朝の基本的法典である経国大典を完成させる。
母のインス大妃のほうが実績・知名度は上かも?
ドラマ:王と私・インス大妃・七日の王妃など
第十代 燕山君(ヨンサングン:연산군)
第十代 燕山君(ヨンサングン:연산군)
在位:1494―1506
第九代成宗の長男
「希代の暴君」と呼ばれる朝鮮王朝初の廃位王(祖や宗などのおくり名がない王)
実母を殺害された恨みから、実母の死にかかわった者たちを次々と粛清していった。
登場ドラマ:ホンギルドン・七日の王妃など
第十一代 中宗(チュンジョン:중종)
第十一代 中宗(チュンジョン:중종)
在位:1506―1544
第九代成宗の二男
第十代燕山君の異母弟で、クーデターにより担がれる形で18歳で即位した。
38年という長期政権ながら、自分もクーデターによって追放されるのではと怯えながら王座についていたとされる。
登場ドラマ:チャングムの誓い・女人天下・七日の王妃など
第十二代 仁宗(インジョン:인종)
第十二代 仁宗(インジョン:인종)
在位:1544―1545
第十一代中宗の長男
在位8ケ月で崩御し、朝鮮王朝で最短の王。
登場ドラマ:女人天下・天命など
第十三代 明宗(ミョンジョン:명종)
第十三代 明宗(ミョンジョン:명종)
在位:1545―1567
第十一代中宗の二男
12歳で即位。
即位時に幼かったため、母とその弟が摂政として権力を握り続ける。
関連記事:韓国ドラマ「オクニョ」の王様、明宗(ミョンジョン)はどんな王様だった?
登場ドラマ:女人天下・オクニョなど
第十四代 宣祖(ソンジョ:선조)
第十四代 宣祖(ソンジョ:선조)
在位:1567―1608
第十一代中宗の孫
おじの明宗の後を受け、16歳で即位。
豊臣秀吉による文禄・慶長の役(壬辰倭乱)を退けたが、民を捨てて逃げた王とも称される。
登場ドラマ:ホジュン・火の女神ジョンイ・王の顔など
第十五代 光海君(クァンヘグン:광해군)
第十五代 光海君(クァンヘグン:광해군)
在位:1608―1623
第十四代宣祖の二男
党争で兄の臨海君や異母弟・永昌大君を粛清する。
クーデターにより失脚したが、実は暴君ではなかったと再評価する説も浮上している。
関連記事:光海君(クァンヘグン)の王妃はトンイではない。「暴君」も誤解だった
登場ドラマ:ホジュン・火の女神ジョンイ・華政・王になった男(映画)など
第十六代 仁祖(インジョ)
第十六代 仁祖(インジョ)
在位:1623―1649
第十四代宣祖の孫
反クァンヘグン派のクーデターにより即位。
李适の乱・丙子胡乱・丁卯胡乱が起きた
三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の儀式によって、清に降伏。
登場ドラマ:イルジメ・華政・馬医など
第十七代 孝宗(ヒョジョン)
第十七代 孝宗(ヒョジョン)
在位:1649―1659
第十六代仁祖の二男
丙子胡乱により兄と一緒に、人質として清国で8年間過ごす。
清への復讐に燃えて軍事力増強を目指したが叶わなかった。
登場ドラマ:馬医・花たちの戦い・華政など
第十八代 顕宗(ヒョンジョン)
第十八代 顕宗(ヒョンジョン)
在位:1659―1674
第十七代孝宗の息子
即位後から南人と西人の党争で多くの儒生が犠牲となる。
朝鮮王で唯一側室を持たない王だった。
登場ドラマ:チャンオクチョン・馬医など
第十九代 粛宗(スクチョン)
第十九代 粛宗(スクチョン)
在位:1674―1720
第十八代顕宗の息子
「チャンオクチョン」や「トンイ」などで日本でもおなじみの王。
登場ドラマ:チャンオクチョン・トンイ・チェオクの剣など
第二十代 景宗(キョンジョン)
第二十代 景宗(キョンジョン)
在位:1720―1724
第十九代粛宗と張禧嬪(チャンオクチョン)の間にできた息子
世継ぎができない体だったため、異母弟が後を継ぐ。
関連記事:トンイのセジャの病気「痿疾(いしつ)」とは。世継ぎが望めない体は史実?
登場ドラマ:チャンオクチョン・トンイ・テバクなど
第二十一代 英祖(ヨンジョ)
第二十一代 英祖(ヨンジョ)
在位:1724―1776
関連記事:トンイの子供は全部で3人。クムの兄弟たちはどんな子?
トンイの息子「クム」としておなじみ。
実の息子、思悼世子を米びつに閉じ込める「米びつ事件」を起こす。
関連記事:思悼世子(サドセジャ)とはどんな人物?なぜ米びつに入れられたのか
朝鮮王で最長の在位期間にして、最も長生きした王。
登場ドラマ:トンイ・イサン・秘密の扉・テバクなど
第二十二代 正祖(チョンジョ)
第二十二代 正祖(チョンジョ)
在位:1776―1800
第二十一代英祖の孫であり思悼世子の息子で「イサン」としても有名。
唯一世孫から即位している。
関連記事:なぜイ・サンは幼いころ「セソン」と呼ばれていたの?
「朝鮮王朝のルネサンス」と呼ばれるほどの文化の黄金期を迎える。
登場ドラマ:イサン・風の絵師・大王の道・秘密の扉など
第二十三代 純祖(スンジョ)
第二十三代 純祖(スンジョ)
在位:1800―1834
第二十二代正祖の二男
11歳で世子になり、同年に即位。
安東金氏(アンドンキムシ)の権力に翻弄される。
登場ドラマ:イサン・商道(サンド)など
第二十四代 憲宗(ホンジョン)
第二十四代 憲宗(ホンジョン)
在位:1834―1849
第二十三代純祖の孫
7歳で即位。
安東金氏と豊壤趙氏の権力闘争が激化する。
病弱だったため、22歳で崩御。
登場ドラマ:明堂など
第二十五代 哲宗(チョルチョン)
第二十五代 哲宗(チョルチョン)
在位:1849―1863
第二十二代正祖の弟・恩彦君(ウノングン)の孫
晉州民乱などの民乱が頻繁に起きる。
大王大妃であった純元王妃の命令で即位。
安東金氏(アンドンキムシ)に権力を握られ、実権はほぼないに等しかった。
実は字も満足に読み書きできないほど暗愚だったとされる。
関連記事:哲宗(チョルジョン)の家系図と哲人王后(チョルインワンフ)の時代
登場ドラマ:チョルインワンフなど
第二十六代 高宗(コジョン)
第二十六代 高宗(コジョン)
在位:1863―1907
興宣大院君(第十六代・仁祖の子孫)の二男
12歳で即位し、大韓帝国の第一代皇帝となる。
1907年に廃位
登場ドラマ:明成皇后・朝鮮ガンマン・ラストプリンセス・ミスターサンシャインなど
第二十七代 純宗(スンジョン)
第二十七代 純宗(スンジョン)
在位:1907―1910
第二十六代高宗の二男
朝鮮最後の国王で、日本に併合された後は李王として王族に封じられる。
登場ドラマ:明成皇后など
以上、27人の朝鮮歴代王を紹介しました。
ちなみに、27人の王のなかで嫡子であり長男であった人物は7人。
嫡子で長男が世子として冊立されたものの、王になれなかった人物は11人いました。
朝鮮王朝聖君ランキング「もっとも偉大な王」は誰か?
ここからは朝鮮王朝の「聖君ランキング」を紹介します。
ランキングの根拠としましては、現代にも残る功績や時代劇などでの描かれ方などを参照としました。
あくまで筆者の個人的意見です
当サイト評価の「聖君ランキング」はこちら
- 世宗(ハングル創設)
- 正祖(イサン)
- 英祖(トンイの息子)
一人づつ解説しましょう。
聖君ランキング1位は世宗(ハングル創設)
李氏朝鮮王朝を語る上で外せない世宗が「聖君」の名に最もふさわしいでしょう。
朝鮮固有の文字であるハングルの創設者で、文句なしで1位です。
ハングル生みの親である4代王・世宗(セジョン)は歴代の王様の中でも最も尊敬されている王です。
世宗のおくり名ですが、多大なる功績者に贈られる「祖」ではなく、「宗」なんですね。
これには次のような理由が推測されます。
当初は訓民生音(フンミンジョンウム)と呼ばれていました。
しかし、当時は盟主国として明(中国)が上にいる状態でした。
明の文字である漢字が正式な文字で、日常的な私的な文書に限ってハングルが使われていました。
また、明からすれば属国である朝鮮が独自の文字を持つことは不愉快なことであったのでしょう。
こういった背景から、4代王・世宗(セジョン)は当時はあまり評価を受けておらず、後世になってから功績が評価されています。
ですが民衆からは非常に尊敬されており、「世宗大王」と呼ばれることもあります。
ソウルに銅像も建てられています。
4代王・世宗(セジョン)は強引な手腕を発揮した先王、太宗(テジョン)の三男でした。
長男である兄の譲寧大君(ヤンニョンテグン)は武芸に優れ、後継者と目されていましたが、傍若無人な振る舞いをしていたといいます。
また、父である先王の太宗(テジョン)の強引な政治手法に疑問を持っていたので父や兄とは違うやり方を目指した、とされています。
こういったいきさつが「聖君」と称される優しい政治につながったんですね。
読書家であった4代王・世宗(セジョン)は儒教を広め、農業、地理、数学などの文化を発展させ、財政や交通なども整備しました。
ハングルの開発だけでなく、文化全体を底上げしました。
また、最も民を愛した王とも言われています。
聖君ランキング2位は正祖(イサン)
朝鮮王朝聖君ランキング2位は「イサン」こと正祖です。
正祖がいかに国民から愛されているかは本名である「イサン」という呼ばれ方が証明しています。
通常、王の本名を書いたり口にすることは禁止されています。
王の名前の字を書くことは謀反の可能性があるからです。
この辺の話はあとの項でも解説しているよ。続きも読んでね。
それでもイサンだけは特別で本名で呼ばれていることが、愛されていることの何よりの証明ですね。
この時代の国立図書館にあたる「奎章閣(キュジャンガク)」を創設して学問の発展に貢献したことをはじめ、文化や学問を向上させて「朝鮮王朝のルネサンス」と呼ばれる黄金期を作ったこと。
水原華城を築き、父の墓をそこに移したこと(水原華城は戦闘城郭で最先端技術の結晶でした)
権力争いに負けず「戦う聖君」としてもドラマチックな王様でした。
正祖以降の時代は王家が乱れ、衰退していくので正祖は「最後の聖君」とも呼ばれています。
聖君ランキング3位は英祖(トンイの息子)
聖君ランキング3位は英祖で、トンイの息子「クム」としても知られています。
英祖は朝鮮王朝最長在位の57年、王として最長寿の82歳の人生でした。
長く王座を維持したということはそれだけ力があったことを物語っています。
また、国が安定しており平穏な治世だったということです。
英祖は「最も民の声を聞いた王」としても有名です。
実際に王宮を出て民と話をしていた、と言います。
この当時では王が民と会話をするなど考えられないことでした。
これは母であるトンイが賤民出身で、英祖自身も27歳まで平民として暮らしていたと言いう異色の経歴があるからこそですね。
李氏朝鮮王朝歴代王名と王の本名の一覧表
王様には王名と本名と二つの名前が存在します。
例えばイ・サンは本名で王名は正祖(チョンジョ)のように。
この二つの名前について一覧表での解説とそれぞれの名前についての解説をします。
韓国時代劇の李氏朝鮮王朝歴代王名と王の本名の一覧表をご覧ください。
代数 | 王名 | 本名 |
---|---|---|
1 | 太祖(テジョ) | 旦(タン) |
2 | 定宗(チョンジョ) | 曔(キョン) |
3 | 太宗(テジョン) | 芳遠(パンウォン) |
4 | 世宗(セジョン) | 祹(ト) |
5 | 文宗(ムンジョン) | 珦(ヒャン) |
6 | 端宗(タンジョン) | 弘暐(ホンウィ) |
7 | 世祖(セジョ) | 瑈(ユ) |
8 | 睿宗(イェジョン) | 晄(ファン) |
9 | 成宗(ソンジョン) | 娎(ヒョル) |
10 | 燕山君(ヨンサングン) | 㦕(ユン) |
11 | 中宗(チュンジョン) | 懌(ヨク) |
12 | 仁宗(インジョン) | 峼(ホ) |
13 | 明宗(ミョンジョン) | 峘(ファン) |
14 | 宣祖(ソンジョ) | 昖(ヨン) |
15 | 光海君(クァンヘグン) | 琿(ホン) |
16 | 仁祖(インジョ) | 倧(チョン) |
17 | 考宗(ヒョジョン) | 淏(ホ) |
18 | 顕宗(ヒョンジョン) | 棩(ヨン) |
19 | 粛宗(スクチョン) | 焞(チョン) |
20 | 景宗(キョンジョン) | 昀(ユン) |
21 | 英祖(ヨンジョ) | 昑(クム) |
22 | 正祖(チョンジョ) | 祘(サン) |
23 | 純祖(スンジョ) | 玜(コン) |
24 | 憲宗(ホンジョン) | 奐(ファン) |
25 | 哲宗(チョルチョン) | 昪(ピョン) |
26 | 高宗(コジョン) | 㷩(ヒ) |
27 | 純宗(スンジョン) | 坧(チョク) |
常用漢字ではない字も多いため、一部画面で表示されない可能性もあります。
王の本名に難しい漢字が使われている理由
それにしても朝鮮王の本名はなんでこんなに難しい漢字が使われているのでしょうか。
IMEパッドで探して漢字入力するの大変だったよ(涙)
朝鮮王朝当時でもこれらの漢字はめったに使わない漢字でした。
珍しい漢字を王の名に使っているのは王の名を口にしたり書いたりすることを禁じていたからなんです。
王の名前の字を書くことは謀反の可能性があるからです。
間違って書いてしまわないようにあえて珍しい漢字にしていたんですね。
ちなみに初代王の李成桂(イ・ソンゲ)も成桂から旦(タン)に即位後に改名しています。
王の本名を呼んでいいのは王や王妃(つまり両親)など限られた近親者だけでした。
それ以外の人は「チョハ」のような敬称でしか呼べませんでした。
王の名前の字を書くことは謀反の可能性があるからです。
なので韓国時代劇でも王が本名で呼ばれるシーンはほとんど見ません。
「イ・サン」で幼いころソンヨンに「サンと呼んでほしい」というシーンがあり、ソンヨンは怯えながら「サン」と呼ぶシーンがありましたが、こういった事情から本名を呼ぶことは恐れ多いことだったんですね。
関連ページ:なぜイ・サンは幼いころ「セソン」と呼ばれていたの?
こちらのページも参考に読んで下さい。
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