思悼世子(サドセジャ)とはどんな人物?なぜ米びつに入れられたのか

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思悼世子(サドセジャ)とはどんな人物?なぜ米びつに入れられたのか 韓国ドラマの話題

このページではイ・サンの父である思悼世子(サドセジャ)とはどんな人物だったのか、米びつ事件の真相などを解説します。

思悼世子(サドセジャ)とは?名前に隠された真実や荘献世子(チャンホンセジャ)との違いについて、米びつ事件の真相、なぜ思悼世子(サドセジャ)は米びつに入れられたのか?などをお伝えします。

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思悼世子(サドセジャ)とはイ・ソンの死後に英祖が贈った名前

思悼世子(サドセジャ)という呼び名は第21代王である英祖が、自らの息子で王位の跡継ぎだった世子であるイ・ソンが悲劇の最期を遂げたことを深く後悔して付けた名前です。

英祖に対する謀反をイ・ソンが企てていると英祖の耳に入り、怒った英祖が米びつにイ・ソンを閉じ込めたことから餓死という悲劇の最期を遂げてしまいました。

これが世に言う「米びつ事件」です。

イ・ソンは英祖の後に第22代王となるイ・サン(正祖)の実父ですが、後に父を悼んだイ・サンは荘献世子(チャンホンセジャ)の名を贈りました。

このため思悼世子(サドセジャ)と荘献世子(チャンホンセジャ)は同一人物ですが、その違いは下記の通りです。

  • 思悼世子(サドセジャ):父である英祖が贈った名前
  • 荘献世子(チャンホンセジャ):息子のイ・サンが贈った名前

英祖はイ・サンに王位を継がせる際、イ・ソンの息子のままでは罪人の息子と言われてしまうことを懸念し、イ・サンを亡き長男である孝章世子の養子にしました。

ですが、イ・サンは即位後に自分は思悼世子(サドセジャ)の息子であると公言したことから亡き父の無念を胸に秘め続けていたことがわかりますね。

この思悼世子(サドセジャ)の息子であると公言したことが宮廷内の反対派との衝突を激化させることになります。

以下ではこの思悼世子(サドセジャ)の米びつ事件を詳しく解説します。

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英祖は自分の息子である思悼世子(サドセジャ)を米びつに入れて餓死させた

第21代王・英祖は自分の息子である世子イ・ソン(後の思悼世子(サドセジャ))を米びつに入れて餓死させました。

これは韓国の歴史の中でも有名な事件です。

この世子であるイ・ソン(愃・선)は後に第22代王となるイ・サンの父親にあたります。

英祖にとっては次男となりますが長男は早くに亡くなったため、このイ・ソンが世子として擁立されました。

イ・ソンは2歳で王世子に冊立され、10歳で恵慶宮(ヘギョングン)と結婚しました。

幼いころから少論(ソロン)派の学者たちから学問を学び、少論派と対立する老論(ノロン)派が朝廷を掌握している、という複雑な環境で幼少期を過ごしました。

英祖は健康上の理由からイ・ソンに公務の代行をするように命じるのですが、これが悲劇の始まりと言っても過言ではないでしょう。

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精神を病んでしまった思悼世子(サドセジャ)は異常行動をするようになった

英祖の代わりに公務を行う重圧に耐えられなくなった思悼世子(サドセジャ)は、精神を病み異常行動をするようになってしまいます。

その裏には、政権を巡っての派閥争いがありました。

世子を指示し、政権を掌握しようとする南人・少論・小北の動きを危惧した老論派が英祖と思悼世子(サドセジャ)を仲違いさせるような策略を仕組んでいきます。

このような策略が巡る環境下で、英祖が厳しく思悼世子(サドセジャ)を時期王として教育していく中で、思悼世子(サドセジャ)は完全に精神を病んでしまったのです。

許可無く王宮を抜け出して都を遊覧したりするなど、世子にはあるまじき行動を起していきます。

異常な行動をする思悼世子(サドセジャ)に実の母でさえ頭を悩ませる状態にまでなってしまいました。

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思悼世子(サドセジャ)が米びつに入れられた理由は老論派の陰謀か

老論派は世子の異常行動に乗じて世子の失脚を目論みます。

思悼世子(サドセジャ)の異常行動は次期王として相応しくないと問題視し、世子が犯した数々の罪と謀反を企んでいるという告発文を英祖に示したのです。

もちろん全てが世子の罪ではなく、仕組まれたものもあって世子にとっても身に覚えがないことがあったため、英祖は全てを信じたわけではありませんでしたが、世子への怒りは収まりませんでした。

老論派の訴えの中には確かに世子が犯してしまった罪もあったからです。

ですが謀反については完全に世子を陥れるための老論派による罠だったと言えます。

ドラマ「イサン」でも、思悼世子(サドセジャ)の「おとしいれられて悔しい」といったセリフがありました。

※このシーンをもう一度見たい方はこちらの関連記事をどうぞ。

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世子の罪が明らかになり、激怒した英祖は自決を世子に命じます。

ですが、この自決を拒否した世子にさらに激怒した英祖は米びつを用意させてその中に世子を入れてしまいました。

そして、一切の食料や水も与えず、誰も開けてはならないという非情な命令を下します。

そして米びつに入れられてから8日後、世子は米びつの中で絶命していました。

英祖は世子を死なせたことをとても後悔し、思悼世子(サドセジャ)という名前を贈りました。

父親が実の息子を米びつに入れて餓死させるという稀に見る残酷な事件でした。

思悼世子(サドセジャ)に謀反の罪を着せたのは貞純大妃(チョンスンテビ)率いる老論派でした。

派閥争いで権力を手に入れたかった老論派は思悼世子(サドセジャ)を陥れ、和嬪(ファビン)の養子であるチョン・フギョムを英祖の跡継ぎにつかせることで自分達に権力を手に入れようとしたのです。

その派閥争いによって命を落とした思悼世子も被害者の一人であることには間違いありません。

イサン(正祖:チョンジョ)を描いた最新ドラマとして赤い袖先が日本でも見れるようになりました。

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米びつの中から最期に父としてイ・サンへ想いを遺した思悼世子(サドセジャ)

息子であるイ・サンに閉じ込められた米びつの中から最期に父として想いを遺した思悼世子(サドセジャ)でした。

それは「何があっても父のことで恨みを抱いてはいけない。必ず聖君になれ」という言葉でした。

自分を米びつに入れた英祖のことですら、恨んではいけないと諭した言葉が幼いイ・サンの胸にどれだけ深く刺さったか図り知れません。

この言葉があってこそ、イ・サンは怒りと恨みに支配されず、民を想うことのできる強い信念を持った王となれたのでしょう。

人生の最後にあってこれだけ素晴らしい言動ができる思悼世子(サドセジャ)は本当に精神を病んでいたのでしょうか?

精神を病んでいたという話自体が陰謀だった気がします。

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イサンで悲劇の最期を遂げた思悼世子(サドセジャ)を演じたのはイ・チャンフン

韓国時代劇「イサン」で悲劇の最期を遂げた思悼世子(サドセジャ)を演じたのは甘いマスクが印象的なイ・チャンフンです。

1966年9月8日生まれで、1989年MBC公開採用タレント19期でデビューしました。

1995年にはMBC演技大賞優秀賞と受賞するなど着実に俳優への道を歩んできました。

イ・チャンフンの出演作品は現代ドラマが多いです。

最近では2016年のSBSドラマ「アイムソーリーカン・ナムグ」にシン・テジン役で出演しました。

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思悼世子(サドセジャ)とはどんな人物?まとめ

このページでは思悼世子(サドセジャ)とはどんな人物だったのか?に焦点を当てて米びつ事件の解説までしました。

イ・サンの父親としても有名な思悼世子(サドセジャ)とはどんな人物か、米びつ事件とはどんな事件でそんな背景があったのか、お伝えできれば幸いです。

米びつ事件は朝鮮王朝の歴史の中でもかなり注目を浴びている事件なので題材としたドラマや映画がたくさんあります。

イ・サン以外では「秘密の扉」などが有名です。

U-NEXTなどの動画配信サービスで見比べてみるのも面白いでしょう。

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