2PMのジュノが主演した韓国ドラマ「赤い袖先」ではイサンの正室はほとんど登場しません。
なので「イサンの王妃は誰?」、「イサンは結婚していなかったの?」、「ドギムとはどういう関係?」といった疑問を持っている方も多いと思います。
このページではイサンの正室について、赤い袖先では描かれなかった部分も解説します。
イサンの正室(王妃)は孝懿(ヒョイ)王妃
イサンは結婚しているし、正室もちゃんといます。
イサンの正室(王妃)は孝懿(ヒョイ)王妃という名前で歴史上でも実在の人物です。
孝懿(ヒョイ)王妃は1753年生まれで、ドギムと同い年です。
9歳でイサンと結婚し、23歳の時にイサンの即位によって王妃となりました。
結婚前に天然痘を患ったという記録も残っています。
当時の医学では天然痘の克服ってかなり難しかったと思うよ。生命力の強い女性だったんだね
イサンとの間には子供ができなかったため、側室の一人が生んだ李玜(後の22代王純祖)を養子としました。
また、孝懿(ヒョイ)王妃は「朝鮮王朝最高の聖女」とも呼ばれるほどの人格者でした。
こちらのページも読んで下さい。
ドギムが承恩を断った理由
赤い袖先ではヒロインのドギムが承恩(スンウン:王と夜を共にすること)を断るシーンがあります。
これは正室である孝懿(ヒョイ)王妃に子供がいないのに、それを差し置いて自分が王と添い遂げるわけにはいかないという理由でした。
当時の朝鮮王朝では宮女は全て「王の女」とされていました。
これは王の快楽のためではなく世継ぎを残すための大切な決まりだったのです。
参考記事:朝鮮王朝の初夜は儀式になっていた!世継ぎを残す王の使命はこうして果たされた
本来であれば宮女であるドギムが王の誘いを断ることはあってはならないことなんですが、王妃に対する気遣いのためでした。
孝懿(ヒョイ)王妃が赤い袖先に登場しなかったのはなぜ?
孝懿(ヒョイ)王妃が赤い袖先に登場しなかったのはドギムとの三角関係にならないようにするためだったのではないでしょうか。
ドラマのテーマが王と宮女との身分を超えた究極の愛だったわけで、ここに王妃が登場すると三角関係になったわけです。
史実では三角関係どころか王妃の他に4人の側室がいたんですけどね。
- 宜嬪成氏(ドギム)
- 綏嬪朴氏
- 元嬪洪氏
- 和嬪尹氏
あえて登場人物を絞ることでドギムとの愛を描いたドラマというわけなんですね。
以上、イサンの正室(王妃)孝懿(ヒョイ)王妃について解説しました。
コメント