貞純王后(チョンスンワンフ)についての解説をします。
いろいろな韓国時代劇で悪女として描かれる貞純王后ですが、実際はどんな女性だったのでしょうか。
調べてみると、有名な事件の黒幕でした。
続きをどうぞ。
貞純王后は英祖(ヨンジョ:イサンの祖父)の2番目の王妃
貞純王后は英祖(ヨンジョ:イサンの祖父)の2番目の王妃です。
この英祖は即位前はヨニングンという名前で、「トンイ」ではトンイの息子のクムとして登場します。
安東金氏(アンドンキムシ)の家系の出身で、これ以降は安東金氏が政治の実権を握る時代が続きます。
英祖と朝鮮一の歳の差婚。なんと51歳差
貞純王后は夫である英祖と朝鮮一の歳の差婚をします。
その歳の差は、なんと51歳差!
「トンイ」ではあんなに可愛かったクムですが、65歳の高齢で14歳の嫁さんをもらっちゃうんです。
英祖にはすでに子供がいて、それが「米びつ事件」のサドセジャなんですが、サドセジャは貞純王后よりも10歳年上でした。
貞純王后と英祖の結婚当時の年齢は
- 貞純王后14歳
- サドセジャ24歳
それでも、戸籍上は貞純王后はサドセジャの母なのです。
貞純王后は年上の義理の息子サドセジャにつらく当たります。
それどころか、英祖にサドセジャの悪口を吹き込み続けるのです。
これには次のような理由があります。
貞純王后の父親は、当時の最大派閥・老論(ノロン)派の重要人物で、サドセジャとは敵対関係にある人物でした。
このため、貞純王后は父親からの指示でサドセジャを陥れようとしたのです。
なんでこんな人を新しい王妃に選んだんだろうね
こうして、貞純王后によって英祖は息子のサドセジャに対して悪い感情を持つようになるんです。
その後、悲劇が起こります。
サドセジャの米びつ事件の黒幕
サドセジャと言えば「米びつ事件」が有名です。
これはサドセジャが父・英祖によって米びつに閉じ込められて餓死する、という朝鮮王朝史の中でも大きな悲劇です。
米びつ事件が起きた原因は、サドセジャの素行不良に英祖が怒ったとされていますが、貞純王后がそそのかした、さらには貞純王后の父親の陰謀だったのではないかと推測できますね。
米びつ事件に関しては別記事でも紹介しているのでそちらもどうぞ。
関連記事:思悼世子(サドセジャ)とはどんな人物?なぜ米びつに入れられたのか
貞純王后と英祖の間には子供はいなかったんですが、サドセジャの息子であるイサンとの関係はかなり悪くなるでしょう。
正祖(イサン)の時代はひっそりと息をひそめた
英祖が亡くなり、正祖(イサン)が即位すると、貞純王后はひっそりと息をひそめます。
イサンにとっては父・サドセジャの仇ですから、かなり恨んでいることでしょう。
しかし、イサンは貞純王后を粛清することはできませんでした。
なぜなら、義理とはいえ貞純王后はサドセジャの母であり、イサンにとっては祖母です。
この当時すでに朝鮮では儒教が国教になっていました。
儒教では年長者を敬うことが大切にされたので、国王とはいえ祖母の貞純王后を処罰できなかったのです。
貞純王后はしたたかにイサンが王の間は息をひそめますが、イサンが崩御した後、再び表舞台に登場します。
ここで、この時代の家系図を確認しましょう。
英祖(ヨニングン)の家系図
英祖(ヨニングン)の家系図を見てみましょう。
英祖(ヨニングン)の息子がサドセジャ(「追」とは死後に王位を与える追尊のこと)がいて、その息子がイサン(正祖:チョンジョ)です。
イサンの息子が23代王の純祖(スンジョ)です。
イサンの死後、息子が23代王の純祖(スンジョ)は11歳で即位します。
王が幼いことをいいことに、貞純王后は再び権力を手中に収めるのです。
貞純王后は垂簾聴政で幼い王の純祖を操り人形に
貞純王后は幼い王の純祖を垂簾聴政(すいれんちょうせい)によって操ります。
垂簾聴政とは、幼い王に代わって母などの女性が摂政政治をすることです。
貞純王后は自らの出身一族である安東金氏(アンドンキムシ)を政権内の要職に次々と就かせて権力を盤石なものにします。
さらに、当時流行していたキリスト教を弾圧。
自らを「女帝」と呼んでいたそうな。
貞純王后は1805年に60歳で亡くなっています。
純祖の即位が1800年なので、貞純王后の垂簾聴政は長くは続かなかったのですが、安東金氏(アンドンキムシ)の政治権力は朝鮮王朝末期まで残ることになります。
関連記事:朝鮮王朝23代王純祖(スンジョ)の母綏嬪朴氏の時代
つくづく、なんでこんな人を王妃に選んだんだろうね
貞純王后のまとめ
貞純王后は英祖(ヨンジョ:ヨニングン:イサンの祖父)の2番目の王妃で、サドセジャ米びつ事件の黒幕とされています。
イサンの息子、23代王の純祖(スンジョ)の時代に垂簾聴政によって権力を乱用します。
これがきっかけで安東金氏(アンドンキムシ)の政治権力は朝鮮王朝末期まで残ることになります。
以上、貞純王后についての解説でした。
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