このページではドラマ善徳女王に登場する百済の将軍ケベクについて解説します。
ケベクは実在の人物で善徳女王では敵役として出てきましたが、ケベクを主人公として描いた時代劇もあるほど有名な人物です。
キムユシンと互角の戦いを演じた名将ケベクについてお知らせします。
「善徳女王」のケベクは新羅との戦いに敗れ、百済は滅亡へ
ケベクは百済の将軍であり、ドラマ終盤の55話あたりから登場します。
「百済の軍は皆鬼神であり、姿を消したと思ったら瞬時に背後から現れる。しかも一日に9里のスピードで進んでいる。」と怯える新羅の兵たち。
9里は35キロメートルほど。
驚異のスピードで消えたと思ったら反対から出てくる百済兵に手をこまねいて、新羅軍は本陣をどこに定めていいのかもわかりません。
しかしユシンは、百済軍の神出鬼没のからくりを見抜いてしまいます。
2つの部隊を1つに見せかけ、敵の目を惑わせていたのでした。
ユシンは相手の軍を泥道に誘導し、馬を泥だらけにしたのでした。
その後現れた軍勢は馬が汚れていなかったので別の部隊だと見抜けたのでした。
秘密を知られたとも気づかず、ケベクは新羅の本陣に攻め込みますが、すでにもぬけの殻。
そこへ一斉に新羅の火矢が放たれました!
死闘の末、百済は敗北し、ケベクは退却を余儀なくされました。
史実のケベクは百済屈指の名将
「善徳女王」でもユシンも認める優れたケベク将軍でしたが、史実に残るケベクは百済最大の忠臣としてその名を刻んでいます。
ケベクは613年に生まれました。
660年、唐13万と新羅5万の連合軍が百済に攻め込んだ時、なんとケベクは5千の兵で立ち向かったと言います。
しかもこの戦いの前に、妻子を自ら殺してから出陣したとか。
背水の陣ですね。
全く共感できないエピソードですが、家族への思いを断ち切り、文字通り命がけで戦地へ向かったのだと、おおむね国内では肯定的な評価がなされているようです。
三国史記にもその名が載っていることから、高麗時代にはすでに百済を支えた英雄として認識されていたようです。
「善徳女王」「ケベク階伯」二つのドラマのケベクを見比べてみよう!
歴史的にも英雄とされるケベクの登場するドラマは、「善徳女王」だけではありません。
その名を冠した「ケベク階伯」では、ケベクの魅力を余すところなく描かれています。
善徳女王と同時代を、今度はケベクを主役に据え、百済の視点から描いたこの作品。
ウィジャ王を助け、百済の発展に尽くし、百済と共に散るケベク。
「善徳女王」ではチェ・ウォンヨンが演じましたが、「ケベク階伯」ではイ・サンでおなじみのイ・ソジンが演じています。
視点が変わるだけで同じ史実も全く違うものに感じ、面白いです。
参考リンク:階伯(ケベク)公式サイト
ユシン、チュンチュをはじめ、「善徳女王」での主要人物も登場します。
ストーリーや配役など、「善徳女王」との違いに注目して観るのも面白いですね!
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