貞明(チョンミョン)公主の生涯と人物像
貞明(チョンミョン)公主の生涯と人物像について説明しましょう。
- 生年月日:1603年6月27日
- 死亡:1685年9月8日(83歳)
- 父:朝鮮王朝14代王の宣祖(ソンジョ)
- 母:仁穆王后金氏(インモクワンフ・キムシ)
- 異母兄:光海君(クァンヘグン)など
- 実弟:永昌大君(ヨンチャンデグン)
日本では江戸時代初期に実在した人物です。
朝鮮王朝14代王の宣祖(ソンジョ)の正室、仁穆王后金氏(インモクワンフ・キムシ)の長女として生まれました。
後に「暴君」と呼ばれることになる光海君(クァンヘグン)は異母兄で、すでに世子(セジャ:王位継承者)になっていました。
実弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)は仁穆王后の唯一の嫡男で、光海君にとっては邪魔な存在と言えます。
貞明公主、永昌大君が生まれたときは父・宣祖はかなりの高齢で、それぞれが5歳・2歳の時に宣祖が57歳で崩御します。
宣祖の崩御には毒殺説(ドラマ内でも毒殺される)がありますが、光海君は即位して朝鮮王朝15代王となります。
光海君が幼い腹違いのきょうだい達をどのように扱うのか?仁穆王后は光海君を警戒していましたが、悪い予感は的中します。
永昌大君は流刑、その後死亡。
仁穆王后と貞明公主は事実上の廃位、西宮で幽閉生活を送るようになります。
クーデターによる光海君の失脚によって復位した後、結婚(子孫にはイ・サンなど)。
その後は朝鮮王族の年長者として尊敬を集め、82歳の長寿を全うしました。
ここからは貞明公主についてさらに詳しい解説をしていきます。
光海君との関係
朝鮮王朝史でも「暴君」と名高い光海君は貞明公主の異母兄です。
貞明公主は生まれた当初は光海君に可愛がられました。
その理由は女の子だからで、世子である光海君にとっては自分の政敵にはならない存在だからです。
光海君は側室の子供で、血統で言えばあまり地位は高くありません。
正室の子であれば「○○大君(テグン)」という名前になるよ
それでも世子でいられるのは他に王位継承に相応しい男子がいなかったから。
(光海君の実兄に「臨海君(イメグン)」という人がいましたが、粗暴な性格で宣祖に嫌われていました)
その後に生まれた貞明公主の実弟、永昌大君は光海君にとっては自分の存在を脅かす存在。
父の宣祖が長寿・長期政権だったので10年以上世子のままでいた光海君は、このままでは永昌大君に次期王座を奪われると焦ったのでしょう。
永昌大君の誕生をきっかけに光海君は豹変し、貞明公主にも冷たくなります。
先王の宣祖の崩御後(光海君による毒殺説あり)永昌大君は流刑後に死亡、仁穆王后と貞明公主は事実上の廃位、西宮で幽閉されます。
光海君の実兄である臨海君もこの時に殺害されています。
この辺のエピソードが光海君が暴君と呼ばれる所以です。
仁穆王后は、このままでは娘の貞明公主まで殺されてしまうと危惧し、「貞明公主は死亡した」と噓の情報を流して貞明公主を隠します。
こうして、かろうじて生き延びた貞明公主の10代でした。
この隠れて生きている時期に書道に明け暮れていたので、後に書道家としても名を残すほどの腕前になるよ
その後、クーデターによる光海君の失脚によって復位することができ、時期王である仁祖(インジョ)によって与えられた広大な土地に移り住むわけです。
ドラマでも結婚したホン・ジュウォンは実在の夫
ドラマ「華政」でも結婚する洪柱元(ホン・ジュウォン、キャスト:ソ・ガンジュン)は実在の人物で、史実でも結婚しています。
ここで、結婚式に関するエピソードを一つ。
朝鮮王朝時代の結婚式では、新郎が馬に乗って新婦の家に駆けつけるという習慣があり、ホン・ジュウォンもその習慣通りに馬に乗って王宮に向かったのですが、その馬が問題を引き起こします。
ホン・ジュウォンは御乗馬(オスンマ)という国王専用の馬に乗ってきたのでした。
御乗馬が町に出たときは、誰も乗っていなくても民衆は頭を下げなくてはならないほど格式の高い馬です。
御乗馬に乗ったのは仁穆王后の命令でしたが、ホン・ジュウォンは王族でもないので当然物議をかもします。
それにもかかわらず、王の仁祖はホン・ジュウォン、命令をした仁穆王后ともに処罰しませんでした。
これの事情は王座を奪ったクーデターが関係しているのですが、後の項で解説します。
子孫に正祖(イ・サン)やホン・グギョンも
貞明公主はホン・ジュウォンとの間に8人の子(7男1女)をもうけました。
この子孫には正祖(イ・サン)やホン・グギョンなどそうそうたる顔ぶれです。
この人たちのすごさはドラマを見ると分かります。
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貞明公主は長く幽閉されていたので王族の女性としては婚期がかなり遅れていましたが、いい相手と結婚できましたね。
光海君の次の王・仁祖と貞明公主の関係
貞明公主は朝鮮王朝屈指の資産家で大地主でした。
現在の測量に換算すると約5万坪あったとされています。
そうなった理由は光海君の次の王・仁祖から授けられたから。
光海君を失脚させて王座を奪った仁祖ですが、いくら相手が暴君とはいえ王座を奪い取るには大義名分が必要です。
その大義名分に利用されたのが幽閉されている仁穆王后でした。
先王の母である仁穆王后を幽閉していることは許されません。
仁穆王后を助けることを口実に光海君を失脚させて仁祖は王座につけたわけです。
つまり、仁祖は仁穆王后に借りを作っていたのです。
この借りを返す形で貞明公主に広大な土地を授けたというわけです。
ちなみに、前述した結婚式の馬のエピソードも、この借りによって不問とされたと言われています。
貞明公主の晩年は仁祖と対立も
仁祖が即位した10年後の1632年に仁穆王后が亡くなります。
仁穆王后が亡くなったことをきっかけに仁祖と貞明公主の関係は悪化します。
もともと信頼関係はなかったんですね。
貞明公主が自分に呪いをかけている、と仁祖は疑うようになります。
韓国時代劇を見ていると呪詛のシーンがよく出てきますね。
仁祖は何かにつけては貞明公主を疑い、処罰しようとしていましたが、功臣の崔鳴吉(チェ・ミョンギル)にかばわれる形で事なきを得ました。
本当に波乱万丈の人生ですね。
この崔鳴吉(チェ・ミョンギル)は実在の人物で、号を「遅川(チチョン)」といいます。
韓国時代劇では華政をはじめ、複数の韓国時代劇に登場している人物です。
ドラマのタイトル「華政(ファジョン)」の意味
ドラマのタイトル「華政(ファジョン)」の意味について。
「華」の字は花と同じで、これに政治の政をつけて「花のような政治」という意味です。
「花のように派手な政治」という意味ではなく、「花が咲くように穏やかな政治を」という意味だそうです。
また、自分を律することができる人こそ花のように美しいという意味も込められています。
ちなみに、貞明公主が書いた「華政」という書が実在しています。
ドラマのプロデューサーが澗松(カンソン)美術館を訪れ、保管されている貞明公主が直接書いた「華政」という漢字を見た後、ドラマのタイトルに決定したと明らかにしました。
ところで「公主(コンジュ)」ってどんな意味?
貞明公主の敬称の「公主(コンジュ)」の意味について。
「公主(コンジュ)」とは王の娘、つまり王女で母親は正室であるという意味です。
王女でも母親が側室だと「翁主(オンジュ)」と呼ばれます。
当然、正室の子のほうが位が高いので公主は王室の女性の中ではかなりの高位と言えます。
王子にも母親が正室だと大君(テグン)、側室の子だと君(クン)の違いがあります。
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貞明公主は日本には来ていない
貞明公主は日本に来ていません。
ドラマでは江戸時代の日本に来るシーンがありますが、実際には来ていません。
西宮に幽閉されている間に身を守るために死亡説が流されましたが、ドラマではこの間に日本に行っていて行方不明だった、という設定になっています。
なので、火薬製造の仕事をしていたこともフィクションです。
貞明公主の生涯と華政(ファジョン)は実話?まとめ
貞明公主の生涯について解説しました。
貞明公主の生涯を描いた韓国時代劇の華政(ファジョン)は実話を元にして、部分的にはフィクションとなっています。
- 朝鮮王族随一の83歳の長寿。
- 朝鮮王族随一の大地主。
- イ・サンの祖先。
- 朝鮮一ともいわれる書道の達人。
貞明公主についての逸話は数え上げるとかなりの数にのぼります。
それだけ波乱万丈の人生を過ごしたということでしょうか。
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以上、貞明公主の生涯について解説しました。
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