光海君(クァンヘグン)の王妃はトンイではない。「暴君」も誤解だった

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このページでは光海君(クァンヘグン)はどんな人だったかについて解説します。

「光海君(クァンヘグン)の王妃はトンイ?」という説も出ているそうですが、これは断じて違います。

生きた時代が全く違います。

まずは、光海君の王妃はトンイ説が間違いである解説をします。

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「光海君の王妃はトンイ」は間違い。映画のキャストが原因だった

「光海君の王妃はトンイ」は間違いです。

生きた時代が全く違うのでこれは断言できます。

ハナコンブくん
ハナコンブくん

光海君とトンイでは、ざっくり言うと100年くらい時代が違うよ

このような間違った説が出てきた原因は、映画のキャストが原因でした。

「王になった男」という光海君を描いた映画で、王妃役がハン・ヒョジュだったのです。

ハン・ヒョジュと言えばトンイと同じキャストなので、この勘違いが起きてしまったようです。

あまりにも有名な代表作があると、俳優・女優にそのキャストのイメージがついてしまいますが、その代表的な事例でしょう。

映画「王になった男」はイ・ビョンホンが、冷酷な王と人情味あふれる影武者の二役を熱演した話題作。

ハナコンブくん
ハナコンブくん

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次は光海君はどんな王様だったのかを解説しましょう。

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光海君はどんな王様だった?なぜ他の王と名前が違うのか

光海君は李氏朝鮮の第15代国王です。

1575年6月4日に生まれ、1641年8月7日に亡くなりました。

王としての在位は1608年から1623年でした。

光海君には「宗」や「祖」のおくり名(尊称)がありません。

このおくり名がない朝鮮王はこの光海君と稀代の暴君・燕山君の二人だけです。

この理由は暴政を敷き、廃位された王なので尊称を与えない、ということです。

しかし、本物の暴君だった燕山君と違い、実は光海君は善政をしていた、とされています。

光海君を暴君としていたのは誤解であり、周りの取り巻きたちが暴走していた、と後世になって再評価されています。

光海君の父である宣祖には14人子供がいましたが、この中で後継者となる男子は2人でした。

一人は光海君、もう一人は兄の臨海君(イメグン)です。

この時代に、豊臣秀吉による朝鮮出兵がありました。

朝鮮出兵は退けましたが、臨海君は日本に捕虜として連れて行かれました。

一方で、光海君は兵を率いて活躍します。

兄である臨海君はこの屈辱を恥じ、戦争が終わった後も酒におぼれ続けていました。

このような事情によって光海君は弟でありながら、次期王(世子)とされます。

しかし、光海君が次の王となることを明に反対された上に、父・宣祖の若い後妻である仁穆王后(インモクワンフ)が男子を産んでいた、等の理由で光海君は簡単には即位できませんでした。

宣祖が崩御した時に、仁穆王后(インモクワンフ)の子供は当時まだ2歳で幼すぎる、という理由で光海君が即位します。

その後、光海君の側近たちが政権安定のため、仁穆王后(インモクワンフ)の子供など、反対勢力を次々に粛清してしまいます。

この仁穆王后の子供は永昌大君(ヨンチャンテグン)と言います。

ハナコンブくん
ハナコンブくん

永昌大君の姉には貞明(チョンミョン)公主という王女がいたよ。別記事で解説してるから関連記事も読んでね。

関連記事:実在した貞明公主の生涯:華政(ファジョン)は実話か

この、光海君にとっては異母弟である永昌大君(ヨンチャンテグン)を処刑したことで「暴君」と呼ばれるようになりました。

ちなみに、永昌大君は蒸し焼きの刑だったとされます。

しかし、これは政権を安定させるために側近たちが勝手にやったこととされています。

また、豊臣秀吉による朝鮮出兵によって疲弊していた民のために税制改革をして負担を軽くするなど善政を敷いていたことも分かり、近年では光海君は良い王だった、と再評価されています。

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光海君の家系図

光海君の家系図を見てみましょう。

父の宣祖には14人も子供がいました。

この中で王たる素質を見出されたのは光海君ただ一人。

事項で説明する光海君の次の王仁祖は、光海君の異母弟(定遠君:テイウォングン)の息子です。

仁祖は即位前は「綾陽君(ヌンヤングン)」という名前で、王族としても身分が低く、王宮から離れて暮らしていたところをクーデターに利用するために連れ戻されています。

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光海君の次の王は仁祖(インジョ)

光海君は仁穆王后を支持する西人派によってクーデターで王座を追われます。

このクーデターで担がれたのが仁祖(インジョ)です。

仁祖は光海君の異母弟(定遠君:テイウォングン)の息子です。

仁祖の時代は中国大陸の覇者が明から清にかわり、清は朝鮮を征服し従属国家とします。

この際に仁祖は清に対し、降伏・従属の儀式である三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)という屈辱を強要された王として歴史に名を残しています。

この仁祖は即位前は「綾陽君(ヌンヤングン)」という名前でした。

この仁祖もいろいろなドラマに登場する王で、例として「ノクドゥ伝」でもユルムの正体がヌンヤングンだった、などがあります。

関連記事:ノクドゥ伝のあらすじ。最終回でユルムの正体が分かる【ネタバレあり】

仁祖は自分の父(定遠君:テイウォングン)を追尊(死後に王としての地位を与えること)するなど、自分の血統の正当性を高めることにもかなり積極的でした。

逆に言うと、そうせざるを得ないほど血統の正当性が求められていたということでしょう。

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光海君の最期と息子の運命

光海君は1623年に王座を追われましたが、1641年まで生きました。

これは王座を追われた後は流刑され、流刑地で生き延びたということです。

光海君は妻や息子夫婦と一緒に江華島(カンファド)に流されます。

光海君の息子は世子(時期王位継承者)になっていましたが、流刑地での生活に我慢ができずに脱走と反逆を企てます。

それが失敗に終わり、光海君の息子は死罪となります。

それがショックで光海君の妻も自害してしまいますが、光海君は生き延びます。

仁祖が清に対して降伏した後に、光海君は済州島(チェジュド)に流刑地を移されます。

今でこそ済州島(チェジュド)はリゾート地として有名ですが、朝鮮王朝時代は南海の孤島で流刑地としては最も過酷な地でした。

この済州島で光海君は最期を迎え、66歳の生涯を閉じます。

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まとめ:光海君のおすすめドラマ

光海君の解説のまとめです。

光海君を再評価する動きは韓国時代劇でも見られます。

それは

  • 王になった男(映画)でイ・ビョンホン
  • 王の女でチソン
  • 華政(ファジョン)でチャ・スンウォン
  • 王の顔でソ・イングク

など、有名俳優が演じていることが物語っています。

これらの韓国時代劇での光海君の描かれ方は必ずしも暴君ではなく、権力争いに翻弄されながらも奮闘する悲運の王という印象を受けます。

上記の作品を見てみることをおすすめします。

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以上、光海君の解説でした。

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