韓国ドラマ「善徳女王」のミシルは実在したのか?

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韓国ドラマ「善徳女王」のミシルは実在したのか? 韓国ドラマの話題

悪役としてトンマンとの対立を繰り広げ、ドラマ「善徳女王」を盛り上げた一番の立役者は何と言ってもミシルでしょう。

ドラマのヒットはミシルのおかげ、と言っても過言ではありません。

しかしながら、実在する新羅初の女王となった善徳女王に対し、ミシルは実在するのでしょうか。

結論はわからないというから驚きです。

なぜならミシルという名は、「花郎世記」という文献にしか存在しないからです。

そして、その「花郎世記」そのものを偽物とする説が主流なのです。

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ミシル実在の手がかり「花郎世記」とは?

「花郎世記」は、新羅33代王聖徳王の時代に(702~737年)に書かれた歴史書であり、その後行方不明となっていました。

ところが日本の宮内庁に密かに所蔵されており、朴昌和がそれを1923~44年ごろ発見し筆写。

1989年にその筆写本が発見されたそうです。

善徳女王の記録が残る歴史書は「三国史記」(1143~1145年)「三国遺事」(1275年~1285年頃)の二つがありますが、いずれも高麗時代に書かれたものです。

もし花郎世記が本物であれば、新羅時代に書かれた唯一の歴史書であり、その内容は事実により近いものであったと思われます。

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ドラマの「善徳女王」よりすごい「花郎世記」のミシル

「花郎世記」によると、ミシルは王室に王妃を数多く送り出した一族の出身であり、容姿端麗で政治力教養力ともに兼ね備えた、かなり権力志向の強い人物であったようです。

そして花郎の最高指揮者「源花」に君臨していました。

花郎とは、新羅に実在した王の親衛隊。

貴族の青年だけで構成され、軍事訓練を行ったり、文化的な教育、道義的教育も行い、人材育成機関としての役割を担っていました。

さらに、ミシルの驚くべき男性遍歴についても克明に記録されています。

夫の世宗のほかに、24代真興王、25代真智王、26代真平王、さらには実弟をも含めてなんと7人もの情夫がいたと書いてあるのです。

こんなに何人もの男たちを虜にしたミシルは、まさに魔性だったんでしょうね。

ドラマ以上に、ミシルは壮絶な魅力で新羅を掌握していたようです。

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ミシル実在の真偽

ミシルが実在したかどうかは、イコール「花郎世記」が本物かどうかということです。

偽物とする根拠は、先に発見されていた三国史記や三国遺事と内容が大きく異なるという点です。

特に性風俗の部分。

ミシルの奔放な男性遍歴であったり、花郎が男色集団として書かれている点が、筆写した朴昌和が性愛小説家だったため、韓国学会では彼の創作であるという説が主流になったのです。

一方、本物であると支持する意見もあります。

三国史記が書かれたころには、儒教の思想が朝鮮半島に入ってきました。

そのため、「花郎世記」のような記録は国の史書として否定的になったと考えられ、内容に食い違いが生まれたというのです。

いずれにしても、「花郎世記」の内容は、学術的にはともかく、ドラマの材料には非常に興味深い内容ですね。

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「善徳女王」ミシルの夫であり政治の駒だったセジョン

ここからはミシルの夫としてドラマにも登場するセジョン(世宗)について考えてみましょう。

セジョン(世宗)は、父はイサブ(異斯夫)、母はチヌン大帝の生母只召(チソ)太后です。

父イサブは、新羅の将軍であり、主将として大伽耶と戦いました。

ちなみにこの時副将を務めたのはミシルの初恋の人サダハムです。

セジョンは第6代風月主であり、上大等(サンテドゥン)でした。

上大等(サンテドゥン)とは当時の新羅における政治の最高権力者で、現代の内閣総理大臣のような立場です。

新羅では、王位継承者がいない場合、上大等が即位することが可能でした。

そのため、ミシルはセジョンを王位に就かせようと策略を巡らしたのです。

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「善徳女王」セジョンとミシルの結婚秘話

「善徳女王」のストーリーの基となっている歴史書「花乱世記」では、セジョンは幼少期にミシルに一目ぼれしていたと書かれています。

ところがセジョンの母チソ太后はミシルを気に入らず、ミシルは宮中から出され、セジョンは別の女性ユンミョンと結婚したのだそうです。

一方そのころミシルは、サダハムと出会い恋に落ちます。

ミシルを忘れられないセジョンの苦悩は、病にかかるほどだったとか。

それを見たチヌン大帝がミシルを宮中に戻し、ミシルとセジョンを結婚させたのです。

ミシルは正妻となったようなので、前妻ユンミョンはどうなったのか気になるところです。

ユンミョンと同じく犠牲となったサダハムは、ドラマの中にもあった通り、戦から帰ってきてミシルが他の男の妻となったと知り、ショックのあまり亡くなってしまいました。

この辺の話は善徳女王のサダハムの梅の正体は暦。なぜ暦が梅なのかにも書いています。

「花乱世記」にあるセジョンは、人柄がよく、ミシルに尽くした人物として書かれてます。

郎徒からの人望もあり、また、王への忠誠も厚かったとか。

あのキム・ユシンも慕っていたそうですから、ドラマとは全然違いますね。

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「善徳女王」セジョンは知らぬ間に亡くなっていた!?

51話でミシル亡き後、ミセン、ハジョンらと語るセジョン。

「セジュ(ミシル)を亡くし、このまま生きていていいのかわからない。皆がセジュの遺志を継いでほしい。」と徐羅伐を離れることを決意します。

そして53話、ハジョンが母ミシルと父セジョンを失って、すっかり気力を無くし酒におぼれる毎日を送っているようすが描写されました。

ここで「いつの間にセジョンは亡くなったの?」という疑問が…。

実は、セジョンを演じたトッコ・ヨンジェ自身もセジョンが亡くなっている設定になっていることを知らなかったそうです。

「セジョンは現役から引退したと思っていたが、ハジョンのセリフで知らぬ間に死んだことになっていた。」と撮影後のインタビューで話しています。

ミシル亡き後、気力も衰えて静かに亡くなったということですかね…。

コメント

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